歓びの今!(1)

 内観とは、自分の負の側面を見つめて、そこから光の中へ、「真の自分」の中へ出るプロセスです。
 般若心経的に表現すれば、「空に帰還する」旅です。

 ところで、負の側面とは、一見、ネガティブです。
(結論は、そうではありません。全肯定に向かうのが、内観ですから。) 
 そのために、負の側面を見つめるプロセスを楽しくする、いろんな工夫が必要です。
 今回の記事は、岩根先生の『自分の発見(全六章)』から学ばせていただいた自明行をもとにして、私の浅い実践を踏まえた類推を通してまとめました。
 どうやったら、私の内観を、楽しく進められるか、と考えて、これから私が少しずつ歩むプロセスの全体を、類推を用いて、効率的に工夫しました。
「転ばぬ先の杖」として。実際は、「繰り返し、みっともなく転んでも立ち上がるための杖」として。

 負の側面は、一筋縄ではいかない存在です。
 ひと言でまとめれば、自分を騙して、錯覚に陥らせ、「真の自分」に背を向けさせる嘘が、負の側面です。
 そして、私は、自分の嘘に深く騙されている、どうしようもない間抜けです。
 そのありようを、シンプルに見極めていきます。

 まず、この嘘は、想念として自分を惑わします。
 相対的な人間関係から生まれる想念は、周囲との比較を通して、様ざまな不平、不満、ボヤキをまき散らして自分を惑わします。

 内観は、守護の神霊の応援をいただき、心の奥から生まれる、幾つもの想念を見つめて、それらを分離して、内なる窓わしから自由になるための、心の旅です。
 そして、それによって、今ここの旅を、有意義に充実させます。

「あらゆる想念は、自分ではない」、と岩根先生は、指導しておられます。
 内観し、ある想念に痛みを感じ、これは、自分の負の側面だと感じて、「自分はダメだ」と思います。
 暗い話になりそうですが、これから、「ダメな自分」の自覚が、実はポジティブであることを見ていきます。

 そこで、「自分はダメだ」という思いを、次のように表現し直します。
「この想念を抱いている自分はダメだ」。
 この思いの中には、二種類の自分が存在します。
 A 「この想念」そのものとしての自分。
 B Aを、「ダメだ」と思っている自分。

 結論から、書きます。
 Bの自分とは、「自分ではない、あらゆる想念」の外にいる自分です。

 自分が、想念そのものなら、その想念は、自分そのものです。
 そこに、ズレは、ありませんし、痛みも感じません。

 しかし、Bは、Aをダメだと思っています。
 守護の神霊は、内観に取り組む私の意志を確認して、Aに光を贈り、Aが抱いている想念から、Aを分離してくださいます。
 Aが、想念から分離された一瞬、Aは、Bへと生まれ変わります。
 つまり、Bは、Aの想念の外に位置しているので、その想念を、ダメだと判断できます。

 もちろんAもBも自分です。
 ですから、「自分はダメだ」と思ったら、心は痛みます。

 その痛みを乗り越えるために、AとBの「大きさ」を比較します。
 Aは、小さな自分です。
(想念は、たくさん存在しますので、それらすべてを、そのつど映し出す自分を、「小さな自分」とします。)
 Bは、大きな自分です。

 これらの視点を用いて、「自分はダメだ」という思いを、以下のように表現し直します。
「大きな自分」は、自分の中に位置する「小さな自分」に映し出された、様ざまな想念を見て、「自分はダメだ」と思います。

 さらに、この表現を、より積極的に書き直します。
 内観を通して、「自分はダメだ」と思うことは、「小さな自分」に映し出された想念を否定することで、その「小さな自分」の外に出ることです。

「自分はダメだ」と思った一瞬、自分は、「ダメな自分」の外にいます。
 心に痛みを感じることは、自分が、「ダメな自分」から、その外へとワープしたことの確認で、それは、とても素晴らしいことです!

(現場では、想念に振り回されている最中に、自分が書いた見取り図を、すぐに思い出せればいいのですが、なかなかそうもいきません。
 しかし、たまに珍しく思い出せても、そう簡単には想念の惑わしから私は自由にはなれません。
 現実では、とことんしぶとくふんばりながら、しかも可能な限りさわやかに歩もうと努めています。)

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