スリリングな意識の冒険

 私が書く、すべての記事は、次の言葉に要約できます。
 全肯定を生きる。
 この要約は、次の言葉に置き換えられます。
 守護の神霊への帰依を生きる。

 全肯定を生きる、とは、実在界レベルでの要約です。
 守護の神霊への帰依を生きる、とは、非実在界レベルでの要約です。

 これらの要約をつなげるのは、フラクタル共鳴です。
 実在界と非実在界の両方向から、多層的に展開されるフラクタル共鳴。
 このフラクタル共鳴を深化させるものは、毎日の祈り、瞑想、実践、内観、聴く行、拝読行です。

 私の内観は、不完全でしか、あり得ませんが、それでも心躍る意識の冒険です。
 内観で最初に知覚するのは、言葉に変換される以前のエネルギーの動きです。
 その動きは、ポジティブな動き、ネガティブな動き、どう受けとめていいのか分からない未知の動き、など、様ざまで、それらのニュアンスも、ひとつひとつ異なります。
 ひと口に言って、とてもスリリングです。
 どのような受けとめ方に落ち着くのか未知数ですから。

 内観を通して、より上位の次元にシフトさせたい愚かな自分が見えてきます。
 お詫びと共に、そんな自分とは、いっしょにいたくないと思います。
 そして肚を据えて、自分の心の動きの裏も表もすべて見つめる姿勢を貫徹することで、愚かな自分を屁理屈で正当化しようとする、姑息な私も見えてきます。
 守護の神霊は、私のお詫びを認めてくださって、愚かな私を、私自身から分離してくださいます。
 同時に、愚かな自分を正当化しようとする姑息な私も、本来の自分から分離してくださいます。

 この分離によって、心が軽くなります。
 心が軽くなった分だけ、これまで以上に、生きいきと実在界の光が満ちあふれます。
 守護の神霊は、愚かな私、そして姑息な私のありようにいっさい関係なく、無条件に実在界の光を私に注いでおられます。
 とても申し訳ないことに、その光の無限供給を、私が、狭い心で制限しています。
 守護の神霊に、そして皆様に、心からお詫び致します。
 とは言っても、決してうつむきながら、ではなく、光の無限供給をしっかり見つめながら、とことん前向きの姿勢で。

 ところで、内観が深まらない堂々めぐりは、しょっちゅうです。
 そんな時には、錯覚に向かって、「あんたも、なかなか、やるもんじゃのう。おいらの、おぼつかない足元を、しっかり見てるね」と語りかけます。
 そして「負けてなんか、いないからね」という意味で、陽気な景気づけのために、「あははははははははっ!」と笑っています。 

 とにかく、たとえ落ち込んでも、ため息つきながらでも自分の心の裏の裏まで見通す覚悟を固め直します。
 実在界の光は、私が大中小のご縁で関わったすべての皆様の心の中にも流れていきますから。
 そして、その光は、皆様と私の地上人生のすべての営みを、より良い方向へ導いてくださいますから。

 こうして、お詫びは、感謝にシフトします。

 そして、自己正当化の、手の込んだフェイクを、内観で見抜いていくプロセスは、多くの失敗も含めて、とてもスリリングな意識の冒険です。

 こうして自己正当化を超えて、
 全肯定を、
 そのつどの人生において全身で生きる内観は、
 それはもうスリリングな意識の冒険です。
 地球を覆う潜在意識の全体に、多層的に張りめぐらされたシンクロニシティ・ネットワークを、
 個が、大中小のレベルで関わる波動域において、
 素晴らしい未来を創るために、全地球レベルで活性化していただく冒険です。

 個の、限られた「思い」において、であっても、
 全体への貢献を心から願う時、
 守護の神霊は、個の意を汲んでくださって、
 個の「思い」が構成する、潜在意識レベルの、大中小の多様な「縁」を、
 多層宇宙の様ざまな階層につなげてくださって、
 人類の恒久平和を達成するために、お働きくださっています。
 毎日24時間、一瞬の休みもなく。

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